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「ノストラ」やらねぇのかよwww

 ファミ劇で「終末特集」とかで、「世界大戦争」、「復活の日」、「日本沈没」(旧)、と、映画を放送。初見の「世界~」だけ見る。聞いた通りの作品。悪人不在ってのが良い…って、生まれる6年も前の映画か。
 ところで、予言も扱って特番を放送しているのだが。飛鳥昭雄が「ノストラダムスは予言を外しておりません」と言っていたが(番組未見。CMはイヤになるほど繰り返された)、映画「ノストラダムスの大予言」は放送しないのですかファミリー劇場さん?
 「封印作品だから」とか逃げてんじゃありませんよ。コレやらなくて、何の終末特集ですか。放送できないなら、特集する必要ないですよ。
 まったく、いっつも中途ハンパですね。
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原作者自らのコミカライズ。


 むか~し買った香山滋の「小説ゴジラ」を読んでみた(奥付は1993年12月。小学館スーパークエスト文庫)。



 「~逆襲」までも含んでいるのだが、尾形の役割が、かなり新吉に振られていてビックリした。ジュブナイル、と言う方向性か。「東京ゴジラ団」は余計だったと思う(昭和20年代っぽい、と言うか「少年探偵団」っぽいが)。



 巻末の映画データ(2本のみ)は、ちょっと貴重か。挿絵の代わりのスチール(?)も貴重?



 「映画小説ゴジラ」(監修・田中友幸、文・海原俊平、昭和59年10月、講談社X文庫)も読んだが、本文は248ページだった(上記は262ページ)。巻末には「メカゴジラの逆襲」までの簡易データ有り。



007に負けるなw


 50周年記念映画「スカイフォール」のTVCMで、「世界最長の映画シリーズ」と言われてた。



 頑張れゴジラ。負けるなゴジラ。ミレニアムとかメガギラスみたいな愚作でも良いから復活しろw



 量産しろw 負けんなwww



 って事で「ゴジラ水滸伝」とか どーよ? いや、既に「ゴジラ忠臣蔵」は有るんだからよぉw



 (吉良悪星人と戦った「怪獣総進撃」の事)



 「ゴジラ西遊記」とかw



 (ゴジラ=悟空、悟能(八戒)=バラゴン、バラン=悟浄、アンギラス=白竜、モスラ=三蔵



 それでも「VSギドラ」、スペゴジよりマシだと思いますwww



リトマス試験紙。


 やっぱ「ゴジラ対メガロ」は面白いわ。少なくとも、リアルタイムに半ズボン履いてた男の子に とっては。



 ヒロイン不在だけど、怪獣映画に恋愛要素は不要。



 (いや、「ゴジラ」とか「~逆襲」とか「メカゴジラの逆襲」とか「フランケンシュタイン対~」とか「怪獣大戦争」とか、「恋愛要素の有る怪獣映画」も良いですけど)



 70年代のゴジラ映画はプログラム・ピクチャー化しているらしく、予算は往年の1/3~1/4らしいし、「~メガロ」は最低ラインの予算で、撮影期間も3週間だったらしい。



 そのせいか、恋愛要素がメインなのは「メカゴジラの逆襲」ぐらいで、「~対メカゴジラ」では添え物的(と言うか大門正明と田島玲子の役って、そうそう明確なカップルでは無いと思うが)、「~対ヘドラ」では添え物に近く、「~対ガイガン」では2名も居るのに恋愛無し、と、居る意味が「職場の花」的なレベル(いや、菱美百合子さんは好きですけど)。



 判官びいき、と言う意味もあるが、無意味に女が出てくる怪獣映画(しかも役に立たなかったり、ブサイクだったり)よりは100倍マシだなぁ。



【補足】



 「ブサイク」ってのは、例えば「~メガギラス」。「~バラン」、「~デストロイア」のメルメル(違)、「ゴジラ2000」は微妙。サイボット靖子は…。



US版「獣人 雪男VS大怪獣バラン」とか無理か?


 調子に乗って「怪獣王ゴジラ」まで視聴。



 やっぱり「~バラン」は地味だ。しかし、「日本のチベット」とか「●落」とか隻眼で口の不自由な男とか、ちょっと「~雪男」っぽい。



 「フランケンシュタイン~」(2本とも)見たせいか、「~バラン」で女性記者がピンチに陥った際、雪男(orフランケン)が助けに来る…ような錯覚を覚えた。



 USで過去のフィルム+新録で「雪男VSバラン」とか作って くれない だろうか?



 (「●落」じゃなくて「バスも通わぬ限界集落」って語り口にする、とかならOKだと思う)



 って言うか、ほとんど新録か。旧作は「過去のデータ(事実)」として一部流用、ってレベルで。



【追記】



 84ゴジラを見直したが…やっぱりサイボット靖子がイタい。大根過ぎ。



「メカゴジラの逆襲」までのゴジラシリーズを全肯定してみる?


とかウッカリ思いついてしまい、先週末から以下の作品を随時 視聴する羽目に。



 (打ち消し線を引いている作品は、後回しにしたもの。赤字は未所有。カッコ内はタイトル外の怪獣。太字は金子修介 監督作品)



1954(昭和29) ゴジラ



1955(昭和30) ゴジラの逆襲(アンギラス)



1956(昭和31) 空の大怪獣ラドン(メガヌロン)



1958(昭和33) 大怪獣バラン



1959(昭和34) 日本誕生(ヤマタノオロチ)



1961(昭和36) モスラ



1962(昭和37) キングコング対ゴジラ(大ダコ)



1963(昭和38) 海底軍艦( マンダ、ムウ帝国人)



1964(昭和39) モスラ対ゴジラ、 三大怪獣 地球最大の決戦( ゴジラ、ラドン、モスラ、キングギドラ)



1965(昭和40) フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)(大ダコ)、怪獣大戦争(ゴジラ、ラドン、キングギドラ、X星人)



1966(昭和41) フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ(大ダコ)、ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘(大コンドル)



1967(昭和42) キングコングの逆襲(メカニコング、ゴロザウルス、大ウミヘビ)、 怪獣島の決戦ゴジラの息子(ミニラ、カマキラス、クモンガ)



1968(昭和43) 怪獣総進撃(ゴジラ、ミニラ、キングギドラ、アンギラス、ラドン、モスラ、バラン、マンダ、バラゴン、ゴロザウルス、クモンガ、キラアク星人)



1969(昭和44) ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃(6大怪獣)



1971(昭和46) ゴジラ対ヘドラ



1972(昭和47) 地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン(キングギドラ、アンギラス、M宇宙ハンター星雲人)



1973(昭和48) ゴジラ対メガロ(ジェットジャガー、ガイガン)



1974(昭和49) ゴジラ対メカゴジラ(キングシーサー、アンギラス、ブラックホール第3惑星人)



1975(昭和50) メカゴジラの逆襲(ゴジラ、チタノザウルス、ブラックホール第3惑星人)



1995(平成7) ガメラ 大怪獣空中決戦



1996(平成8) ガメラ2 レギオン襲来(草体)



1999(平成11) ガメラ3 邪神<イリス>覚醒(ギャオスハイパー)



2001(平成13) ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃(バラゴン)



 (「メカゴジラの逆襲」以前の作品でゴジラシリーズ以外の作品は、「怪獣総進撃」に登場した怪獣に関係する。赤字は例外)



 何て言うか、「ゴジラは入れ物」と言うのはGMK(ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃)で言われてしまっているしなぁ(平成ガメラ3でも)。って言うか、「ゴジラコミック」の1か2で風忍先生が似たような設定使ってたし。



 (これはGMK以前に思いついて「さらば海底軍艦 轟天号 老いの戦士たち」ってネタにしたのだが、ゴジラコミックが先だっけか…?)



 「政治主導の陰謀論」は同じく小林源文が書いてるし。「怪獣はムー帝国(古代超文明)製」ってのも平成ガメラだし。



 (平成ガメラ3→GMKと見ると、キャストでニヤリと出来た)



 キバヤシ風に「つまり、轟天号は、古代の宇宙船をレストアした物だったんだよ!」って言ったって、「ソレナン・テナ・ディア?」と言われるのがオチ。



 …って事で、目の付け所としては、「X星の第二次探検は、どうなったか?」とか「ムウ帝国の遺民は、他には居なかったのか?」ってところか(シートピアはレムリアの遺民)。キラアクの件は「フィクション」とも取れるが、そうなると「怪獣島」の設定は…?



 あと、ヘドラだな。それと「霊獣設定」か。「古代人宇宙飛行士説」を安易に使うと「ソレナン・テガ・イバー」って言われるし。



 とりあえずレイモンド・チャンドラーを起用して、(例の如く)「シャドウ」に絡ませるか…「メカゴジラの逆襲」の中丸忠雄先生がインターポールなので、キイハンター(小田切慎二)とも絡ませられるな(笑)。



【追記】



 平成ガメラ3のキャストは見ていてチョットあれだ(例の女とか天才(?)男とか)。GMKは、「さつま=わだつみ」とか思ってしまった(サノシローがウザかった)。この後に「日本水没」(違)が来る訳だが、これのキャストもアレで、感情移入しづらかった(こっちは樋口真嗣 監督だが)。



「大巨獣ガッパ」(1967年)を見たが…。


 山本陽子の垢抜けなさにビックリ。初見では気づかなかった。



 ガッパの顔もグロいので、今イチ感情移入できなかったが、しかし、ミニラにたいなのもイヤだしなぁ。考えモノだ。



 挿入歌も やたら感動的だし、ちょっと「良い子ちゃん向け」って感じ。



 リメイクするなら、「子ガッパは餓死→親ガッパは復讐の為に日本(の観光地を)縦断→最終兵器で倒すも、その破壊力で当該地域は廃墟(数十年、汚染される)」ぐらいの話になるか?



 続編として、「親ガッパが寿命→子ガッパ成獣へ→伴侶を求めて世界を放浪(破壊)→親ガッパの死骸をサイボーグ化して事に当たる」みたいなのを思いついた。



 (途中が「怪物ジオラ」っぽいが)



夢想、「ゴジラ対ガメラ」

 GMKっぽい作品しか思いつかなかった…。


【基本構成】


 金子修介いわく、「ゴジラ=三船敏郎(用心棒)=無敵」、「ガメラ=勝新太郎(座頭市)=再戦で勝つ」、との事。


 ならば、プロットは、


「ゴジラ出現、暴れる→ガメラ登場→ゴジラ対ガメラ→ガメラ敗北→ガメラ復活→再戦→ゴジラ封印→ガメラ死亡」


しか無い。


【余韻】


 「ゴジラ封印」→復活の暗示(「VSビオランテ」の「ゴジラ復活を予知する子供たち」みたいな描写)。


 「ガメラ死亡」→ガメラの卵(トトorピッコロ大魔王)で再生の暗示。


【肉付け】


 登場怪獣がゴジラとガメラだけでは話題性に欠けるので、「対ゴジラ連合軍」として、ガメラをリーダーとする怪獣軍団を設定。


 しかし、大映怪獣はアレなので、東宝からセレクト。


 (バルゴン→水に弱い、ギャオス→日光に弱い、バイラス、ギロン、ジグラ→宇宙人or宇宙怪獣、ジャイガー→ブサ)


 と、なると、共演は、土着怪獣のバラン、バラゴン、アンギラスしか無い(笑)…って、まんまGMK初期案。


 とりあえずマンダを加え、さらにはマンダ+ガメラで玄武になる、とか。


 あー、そーなると、白虎、青龍、朱雀も必要か。朱雀はラドンとして…ううむ。


 つか、白虎(?)、青龍(マンダ)、朱雀(ラドン)、玄武(ガメラ)の4体合体で黄龍になり、ゴジラ(トン)を倒す、とか?


 「バラン、バラゴン、アンギラス」(と、マンダ)の地味路線で行くなら、メカゴジラ軍団とメカニコング(商標的には「メカゴリラ」か?)は必須?


 (メカモゲラも?つか、元々モゲラはメカですが)


 …と、日本映画専門ch(のEPG)で「ファイナルウォーズ」の文字を見て妄想してみた。


 (「DC VSマーヴェル」みたいな感じで、両者の活性化には良いイベントだと思うが)


【追記】


 「ゴジラ対 反ゴジラ連合」と言うと、「怪獣総進撃」のキングギドラのポジション。


 と言うより、「三国志」での「トウタクVS反トウタク連合」みたいな感じ。


【蛇足】


 アメコミ方式(ディケイド方式)で、「××を守護獣とする平行世界が融合→消滅を防ぐ為、元凶のゴジラを連合軍が倒す」みたいなノリでOK?


 (だって、イベントだしなぁ…)


今こそリメイクせよ、「小さき勇者たち~ガメラ~」。

 「クズすぎる。http://getterp.blog.shinobi.jp/Entry/4340/で酷評した「小さき勇者たち~ガメラ~」だが、何がマズかったのだろうか?


  それは、「子供=未来(希望)」であるはず なのに、主人公が過去(亡母)に依存している事だろう。


 もうひとつ。「過去のガメラは自爆したが、今度は自爆させない」と言う部分に、主人公(子供)が絡みづらい点も上げられる。


 (主人公たちは、過去の自爆を目撃していない)


 (それと、「ジェット噴射で空を飛ぶ」を目撃するのは、「ガメラ(への成長の伏線)」であると同時に、「無責任な子供たち」とも取れる)


※ 以下、誤って消して(上書き)してしまったので、書き直し。原文は忘れている為、変更有り。


 では、どうすれば良かったのか?


 「7人のオタク」は見ていないのだが、そう言う造りにすれば良かったのでは無いか?見た映画で言うと、「少林サッカー」。「ダメ人間が再生」と言うパターンだ。


 つまり、「小ガメ」の主人公を、1973年(72年?)当時の子供にする。現在はワープアで、家庭も崩壊。うらぶれた自分を、「自爆したガメラ」に なぞらえる、自虐的な人物。


 その人物を中心に、「ネット難民」や「派遣切り」などのネット仲間が終結し、ガメラ再生(ジーダス撃退)に立ち上がる、と言うもの。


 (その為、「今度は自爆させない=自分(たち)の再生」とも重なる。あるいは、小ガメを「自分の子供」として守る、と言う意味も)


 従って、政治家(官僚?)や雨宮教授ら「エリート」とも対立。その為、自分たちがガメラに赤い真珠を送り届ける事に拘る事に、整合性(納得力)を持たす事が出来る。


 (政治家か教授、あるいは自衛官を「幼馴染のライバル」にすると、話が盛り上がる)


 正直、戦闘シーンを流用(「パワーレンジャー」、「ドラゴンナイト」方式)し、リメイクしては どうか?クライマックスは、新怪獣orジーダス パワーアップ、で撮り増し。


 「日本の景気は二番底」とも言われているし、「日本再生」に向けて、造るべきでは?


【追記】


 リメイク版の「小さい」と言うのは、主人公の器(と、価値観)で。


 (「50円の器」by絶望先生)


【追記2】


 雨宮を「かつてのギャオス戦(70年代)で、ガメラと共闘した子供」にしては どうか?


「かつての失敗から、今度は万全を期す→焦りからドーピングを急ぐ→ガメラに拒否反応→ジーダス接近だがガメラ動けずピンチ」


と言う展開が出来る。


 また、それ(以前)に対し、「急激なドーピングを懸念する主人公」と言う対比も。


 で、「前回(70年代)の失敗は、雨宮くんが鍵っ子だった事(完璧主義、協調性の低さ」)に置き換えれば、「今度はチームワーク(友情)でリベンジ」と進められる。


クズすぎる。

 ファミ劇でガメラが一挙放送されたので、ついでに「小さき勇者たち~ガメラ~」も見る。


 …なに、このクズ?


 作品とすら呼べない。日本映画=斜陽のイメージが強いが、それでもコレは無い。


 「VSキングギドラ」以降のゴジラ作品もヒドかったが、「小ガメラ」は、それよりもダメかもしれない。


 正直、当時のスタッフインタビュー(監督、脚本家)を見て、「全く期待できない」と思ったものだが。


 (元々、田崎竜太は嫌いだが)


1)難病モノ路線


 佐々木守or実相寺昭雄だったと思うが、「リビングが出たら、そのドラマは見ない」と言っていたと思う。


 それと、「難病モノも見ない」と言っていた気がする。


 何にせよ、「心臓の手術?あーハイハイ、難病モノですね。お涙頂戴ケータイ小説」と、シラケた気分になる。


2)ジーダス弱すぎ


 日テレG+ ジーダスが弱すぎる。平成ガメラ(3部作版)、昭和ガメラと戦ったら瞬殺されるレベル。


 (事実、ドーピング 覚醒後のガメラに圧倒される訳だが)


 大きさと身体能力は別として、ルックスはリアル路線まっしぐらで、「新発見の恐竜」と言われても通用する地味なモノ。


 特殊能力が無い(?)のもイタい(泳ぎや潜水、ジャンプあたりは、能力的に地味すぎる。バラン未満)


 (中ガメ状態のトトに撃退されるのも、弱すぎる)


 歴代 敵怪獣中、最弱(群体レギオンの一体と、1対1なら勝てるか?)。


 名古屋を灰にする覚悟なら、自衛隊の装備で撃退できたと思う。


 (名古屋で食い止めないと、被害は雪ダルマ式に膨れ上がるので、名古屋 決戦は避けられない)


3)リアルかファンタジーか?


 昭和ガメラ(バルゴン除く)はファンタジー(と言うより「おとぎ話」)路線、平成ガメラがリアル路線。


 それに対して、「小ガメ」が選んだのは「中庸」(か?)。


 ただ、見ている方としては「荒唐無稽」としか思えない(或いは、「ご都合主義」)。


 その代表例が、ジーダスの食人シーン。


 「見るな!」と、子供たちの目を塞ぐのは良いのだが、しかし、映画としては、描写が必要だろう。


 (ガイラは、食人後に衣服を吐き出したし、バラゴンはニワトリ小屋を襲った)


4)バカな子供(大人=悪)


 子供たちのバカな行動を見るにつけ、「脚本家(スタッフ)の頭が悪いのか、それとも、子供を見下しているのか?」と思う。


 例えば、「赤いお守り(赤真珠)」を、麻美から小ガメへ移送するシーン。


 そんなモン、「電話すれば」即 解決じゃないか(主人公の父親から病院へ、そして「巨大生物対策班」へ)。


 それを、わざわざ「子供リレー」。もう、バカじゃなかろうか、と。


 (実際の今の子供って、そんなにバカなのか?)


 正直、主人公は父親すら信用していない事に なるのだが?


 あと、「子供リレー」って「逆走」している訳だから、かなりの危険性を孕んでいる訳だ。


 (高速道路を逆走したら、どうなるか?)


 逃げる方は、命がけなのだから、突っ込んでくる子供が いれば、押しのけ、あるいは突き飛ばす ぐらいは正当防衛(緊急避難)の範疇。


 「急接近する子供を回避できず、膝でカウンター→子供の頭部に直撃→鼻血ブー&脳震盪→リレー中断でゲームオーバー」も、十分 有り得る。


 平成ガメラの「女性→巫女(「3」は悪の巫女も)」に対し、「(先祖返りの意味も含めて)子供たち」と言うチョイスなのだろうが、大人が活躍しなさすぎる&悪。


 (政治家の秘書(?)のオーバーリアクションなんか、もう、アホかと)


 とは言え、大人が居なければ、ハッピーエンドに ならなかった訳で。


 (主人公の父親が、階段の障害を こじ開けたりとか)


 それに、ヒロイン(?)の手術をした執刀医も、大人だろうし(JK)。


 確かに、政治家(?)は、ちょっと反感を持つが、「悪人」と言うレベルでは無い。


 (雨宮教授が居なければ、中ガメもパワーアップ出来なかったし)


 ラストの「ガメラ確保!」も、「捕獲」レベルなら当然(覚醒後なら、捕獲されても逃げられるはず)。


【補足】


 今回のようなエピソードを見ると、思い出すのが「ザ☆自演乙 ウルトラマン」のワニゴドンの話(#3「草笛が夕日に流れる時…」 )。


 「生き物を飼うのは、責任が伴う」と知った、小六の春だった。


 30年ぶりにファミ劇で見たが、この話は(序盤と言う事もあって)、鮮明に覚えていた(「意外と覚えている。http://getterp.blog.shinobi.jp/Entry/2347/)。


 それに対し、本作では(ジェット?噴射で飛行しているのに)「問題ない」として飼うわ、あまつさえそれ以上に成長しても隠して飼うわ…「結果オーライ」を肯定しているとしか思えない。


 「作り手の責任」と言うものを、痛感する視聴時間であった。


【追記】


 自衛隊の影が薄すぎるのが気に かかった。


【追記2】


 検索すると、Wikipediaでは「秀逸な記事」として選考された跡が。いや、作品のクズさと、記事の出来はイコール=じゃ無いけどねw


 それと、「自衛隊が活躍していないと言うが、そう言う怪獣映画があっても良い。『ゴジラの息子』にも自衛隊は出ていない」と言う意見があった。


 いや、ソレは違うだろう。


 ゾルゲル島は日本の領海に無い(と推測される)から、自衛隊が出てくるはずが無い。


 …と言うのはヤボだが、同じ孤島モノである『南海の大決闘』には、「赤イ竹」なる組織が登場し、私設(?)軍隊が登場している。


 ともあれ、「怪獣とドンパチやるだけが、自衛隊の(怪獣映画での)見せ場では無い」とは思う。


 しかし、それならそれで、キッチリ「後方活動(広報活動?)に従事する自衛隊」を描写すべき(避難誘導とか、負傷者の収容・移送とか)。


ニワトリが先か、卵が(ry

 何度目だろう、このタイトル?


 ともあれ、映画「二百三高地」を見て思うことは、


「名画が先か、名優が先か?」


「名画が先か、名曲が先か?」


「名画が先か、名歌手が先か?」


「名画が先か、名セリフが先か?」


と言う事だ。


映画「ノストラ~」封印の秘密?

※注 以下は妄想に基づいているので、そのつもりで読む事。


【「G事件」が無かったとして】


 映画「ノストラダムスの大予言」は、80年代にソフト化の機運が あった。が、ドタキャンに なっている。


 「ノストラ~」が封印されているのは何故か?


 「封印作品の謎」によれば、「カット版での公開」で解決した訳だから、カット版のソフト化が出来ないのは おかしい。


【原作について】


 映画は封印されたが、五島勉の「原作」は封印されていない。


 (もっとも、「原作」とは言っても、「原案」レベルの内容である)


【責任と保障】


 東宝がソフト化を拒むのは、訴訟を恐れている からでは無いか?


 この「訴訟」は、被爆関係者から、では無い。


 日本人 全体からだ。


 もっとも「~全体」とは潜在的な数であり、実際は、もっと少ないだろう。


 もう少し具体的に書こう。五島の「ノストラ~」は社会に大きな影響を与えた。


 (当時、高木彬光は、それを払拭すべく、本を出している)。


 映画も、それに拍車を かけている。


 その結果、日本では終末思想が蔓延し、刹那的な人生を選ぶ者が増えた。新興宗教にも影響を与えている、と聞く。


 従って、五島・東宝は、それら「身を誤った人々」、及び「新興宗教の犠牲者 等から訴訟を受ける可能性がある。


 (社会的責任の大きさから)


 では、「五島は、何故、訴えられないのか?」と言うと、それは財産の多寡からだ。


 この場合、訴訟に勝つのが目的では無く、「いかに多額の金銭を得るか?」が目的になってくる。


 従って、個人(五島)よりも大きな組織が先に標的になるのは必然だろう。


 (つまり、「ノストラ~」を公開すると、古傷を抉られる、と言う事)


 東宝は封印を続ける事で、「我が社は反省しています」と言う態度を示し、訴訟のリスクを減らしているのである。


 …と、言う事で、訴訟を起こすので あれば、五島が生きている内だろう。


 (あと、残っている出版社。それと…文部科学省(文部省 推薦 映画だった))


 …とか考えているプロ市民が、どこかに居るに違いない…。


【参考資料】


 「くま夫婦 by中央ヤンボル」の「格差社会~底辺よりhttp://yanboru.exblog.jp/6504652/


「ゴジラ アメリカ 表現規制」

 ↑検索ワードより。


 「封印作品の謎」が本の山から出てきたので、ついでに考えてみる。


「ゴジラは差別表現では無いのか?」


と。


 ゴジラの皮膚の表現については試行錯誤の末、ケロイドの表現に基づく物に決定した。もちろん、ゴジラが被爆した事を視覚で表す為だ。


 この「ひばく者(ぎせい者)」が加害者に なるところに、映画「ゴジラ(1954)」の悲劇がある。


 さて、東宝は、この「ひばく者」を海外に売った。その収益は、売価の10倍だった、と聞く。


 その後も、東宝は「ひばく者」の主演映画を撮り続け、公開し、利益を上げた。後にはソフト化も行っている。


 スペル星人を規制するので あれば、ゴジラも規制されて当然だろう。しないのは、「金の生る木を手放したく無いから」としか思えない。


 …と、20年 以上前から思っている。


「小林作家」

もとい、「少林サッカー」を観た、ディスニーXDで。


 この映画、私としては珍しく劇場で見ている。「パンドレッタ」で賞賛された為だ。


 (「逆襲のシャア」が余りにも退屈で途中で寝てしまった為、「以後、映画はTV(無料)で」と言うポリシーを固めた。


  それ以降、映画館で観たのは「X-メン(1)」、スパイダーマン(1)」、「ウォッチメン」ぐらい)


 この映画があった御蔭で、「アストロ球団」の実写版が製作されたのだろう…と思う。


 (「メイキング・オブ・アストロ球団」でのキャストへのインタビューを読むと、「(本作は)少林サッカーみたい」と言う声がチラホラとあった。


  おそらく、企画を説明する際、「『少林サッカー』の野球版です」と言ったのだと思うし、そう説明できた事は「判りやすさ」に繋がったと思う)


 さて、今回、自宅で笑いながら見たのだが、疑問に思う点もあった。本筋と関係ない点で。


 と、言うのは「衛生面」である。


 本作はバイタリティ溢れる作品であるが、その宿命か、「汚い」描写もある。


 例えば、末弟が卵に拘るシーン。ここでシンは「鎧の肌」に卵を投げ、矛先をかわすのだが…


「シンの(汚い)靴に落ちた黄身を すくって食べる」、


「鎧の肌」の口に入った卵に喰らいつく(ディープキス?)、


の他、「ムイの涙が顔を伝って落ち、饅頭に入る」、など、「どうかなぁ?」と思うシーンが目に付く。


 (モデルが転ぶ際とか、シンがボールを蹴る際とか、「鎧の肌」が自身を誇示するシーンで舌を出すのは下品だ…とも思う)


 細かい事かもしれないが、そう言う「非・衛生的な事象に大らか」な事が、「毒ギョーザ事件(混入問題)」とかの遠因になっているの かもしれない。


 


 あと、いかにも「吹き替えました」感じで違和感があったが…何故だろう?口が合ってないとか?


 (にしても、細かい部分で字幕を覚えていた自分にビックリした)


 それと…思わず吹き出してしまうシーンが多いのだが…当時、よくガマンしたな、俺。


 (劇場では声を立てないのがマナー)


もしもゴジラがTVシリーズだったら?

 今回は、またオタクイーンさんの「オタクイーンの「恋するネヴュラ」http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/に触発されて。


 (以下、「放送VS興行」http://spectre-nebura.cocolog-nifty.com/cultnight/2006/10/post_09ce.html#trackbackより引用)


「ゴジラ」が毎週一話完結のテレビシリーズだとしたら、どんなストーリーになると思います?劇場版と絶対違うテイストになると思いませんか?

「流星人間ゾーン」は別にして。

あれは準レギュラーでしたから。

ね。住み分けってやっぱり必要でしょ(笑)。


 (以上、引用終了)


 


 私としては、「『日本沈没』のTV版のようになるのでは?」と思ったのですが、どうもニュアンスが伝わらなかったようで。


 


 で、オタクイーンさんが「『流星人間ゾーン』は別」と言うからには、「正義の味方路線」は無いだろう、と。


 (自動的に、「三大怪獣 地球最大の決戦」以降のスタンスは却下)


 (同じく、「USゴジラのアニメシリーズ」路線も却下)


 と、なると、「『モスラ対ゴジラ』テイストの話が繰り返されるのではないか?」と思う次第。


 …しまった、「映画と同じテイスト」じゃん!


 アタマ悪ぃな、俺。


 


 気を取り直して。


 「正義の味方路線」が却下される理由は、と言うと、「ゴジラか、それ?」と言う事。


 もう少し具体的に言うと、「『ゴジラ』でしか出来ないシナリオ(シリーズ)になるのか?」と言う事。


 


 「アニソン3原則」の中に、「画面と(歌詞が)シンクロしている事」、「互換性がない事」と言う条項があります。


 どこで仕入れた話か忘れましたが(※1)、「水戸黄門の代わりにウルトラセブンを出して…」と言う脚本家のセリフがありまして。


 つまり、「登場人物を変えれば、差し替え可能」だと言う事ですが、それでは、その作品には相応しくないエピソードになるでしょう(※2)。


※1 多分、実相寺昭雄の「自伝風小説」の一節だったと思う


 (ちくま文庫「星の林に月の舟」P222~223)


※2 ソレ言うと、「仮面ライダー(1号・2号)」なんか、全否定できる気がする。


 


 と、なると、オリジナリティを出すには、「ゴジラは脅威である→倒せない」と言う発想になる訳で。


 (民間人や特殊兵器で倒せるなら、それは「ウルトラQ」です(※3))


 従って、「日本沈没(TV版)」と同じ構図になる訳です(※4)。


※3 別に「ウルトラQ」を否定する訳ではなく、「作風」の違い。


※4 作風の引用って、思いっきり「互換性」ですが。


 


 「日本沈没」のメインテーマは、本来、


「国土を失い、世界をさすらう。その時、日本人は、どう行動すべきか?」


と言うもの(※5)。


 従って、「日本が沈没する」のは前提であり、不可避な訳です。


 (これをなんとかしよう、と言うのはリメイク版の映画だけでしょう(※6))


※5 実際には、この部分は「第2部」で描写されます。


※6 ラジオドラマ版は聞いておらず、さいとう・たかおのコミック版も未読ですが。


 


 さて、「日本沈没」は、「日本脱出」とタイトルを変更しても良い作品だと思います(あ、物を投げないで!)。


 何故なら、「日本の沈没は不可避→脱出するしかない」からです。


 そこで、「一人でも多く、無事に脱出させる」事が、主人公たちの目的となります。


 


 「ゴジラTVシリーズ」を夢想した場合、「ゴジラは倒せない→いかに被害を食いとどめるか?」がメインのテーマになります。


 と、なると、TV版の「ご当地沈没」のごとく、


D G計画(小野寺)が被災地に出張り、そこでゴジラを牽制しつつ、一人でも多く避難させる」


と言う作劇になるのが自然だと思います。


 従って、小野寺のケルマディックや結城のわだつみには、武器(メーザー砲)が装備されていないか、もしくは装備されていても、一時的な牽制にしか使えない、と。


 


 G計画側の行動としては、


「ゴジラの情報を仔細に収集→行動を予測→被災地(予想地)から避難させる/ゴジラの進路を変更させる」


と言うところでしょう(※7)。


※7 普通、バラゴンのように「食料を求めて移動する(本能に従って)」のが怪獣だと思うが、ゴジラの場合、繁華街やメジャーな場所を狙う習性がある(金子版のように「怨念」と言う解釈なら、それも有り(※8 ))。


※8 従って、G計画の予想は複雑・困難になり、観光地に小野寺が出没したり(笑)。


 


 で、毎回のカタルシスは、


「孤立した避難民を、小野寺が、どう救うか?/救われないか?」


になります。


 


 オチ(最終回)は、やっぱり「モスゴジ」で。


 例えば…(つづく?)。


平成ゴジラは、何故、退治されないのか?

 このような時期に、申し訳ないのですが。


 結論から言うと、「平成(以降の)ゴジラ=天災(台風・地震)」である為。「退治しきれない=再度、再々度、発生する存在」、と言う事です。


 つまり、「退治できないなら、(被害を抑える為に)ゴジラの攻撃力を制御する」と言う戦法…のはず。


 台風のコースを逸らす、あるいは「地震のエネルギーを小出しにし、一度に大爆発を起こさせない」と言う発想…のはずです(←演出意図としては信用していませんが)。


 重要拠点や市街地への被害を食い止めるために、自衛隊やGフォースがゴジラのエネルギーを浪費させている、と考える…しかないと思います(自然環境への悪影響を避ける方が、より「人道的」だと思う)。




 以下は蛇足。




 本来、ゴジラは「悪役にして被害者」と言う複雑な立場でした。「日常生活に紛れ込んだ異物」として、排除(抹殺)されるのが、第1作(『ゴジラ 』)です。第4作までは、「退治する」が基本スタンスです。


 第5作(『三大怪獣 地球最大の決戦 』)以降は「正義の味方」化しています(第15作『メカゴジラの逆襲 』まで)。


 平成ゴジラ(第16作『ゴジラ (1984) 』)では、第1作以外の昭和ゴジラは「なかった事」にされます。


 と、言う事は「退治される存在」なのですが。平成第2作『ゴジラvsビオランテ 』では、「ゴジラは海に(帰る)」と言うセリフでカバーされ、退治されないまま終ります。良いのか?(当時からツッコまれていましたが)。


 平成第3作『ゴジラvsキングギドラ 』では、また設定の変更が。


 これ以降は、「退治される存在」でありながら退治されないまま終わる(もしくは復活を示唆して終わる)。つまり、劇中の設定と、「ゴジラは東宝の顔(ドル箱)ゆえ、シリーズは終わらせない」と言う採算主義が矛盾していると…昭和ゴジラのアイドル化は、「シリーズ化」と言う意味では正しかった訳で。


 同じ「アンチヒーロー」の中村主水(必殺シリーズ)は、毎回毎回チームは解散すれど、彼だけは生き残ります。ゴジラは怪獣界の主水なのかもしれません。




松井ゴジラのポジションの変遷】


 第2作(『ゴジラの逆襲 』)では、「抹殺する方法がないので封印」と言う方法が採られます(ここでは「被害者」ではなく「悪役」)。


 第3作(『キングコング対ゴジラ 』)はコメディ色が強い世界観(「お祭り」)となっていますが、「退治する必要がある」と言う方針は変わりません。


 第4作(『モスラ対ゴジラ 』)は、「昭和最後の悪役ゴジラ」として描写されています。特に、「孤島の生徒たちが危機に陥るシーン」は、泣けるほどの出来です(安い構成ですが)。


 第5作(『三大怪獣 地球最大の決戦 』)では、外部(海外宇宙)からの脅威欧米列強キングギドラに対抗すべく、土佐藩モスラ (幼虫)の仲介で長州ゴジラと薩摩ラドン がチームを組みます。ここで、図式が日本地球VS欧米列強宇宙にシフトしています。ここで、「ゴジラ=日本地球の守護神」の図式が完成し、「退治される存在」ではなくなります(なお、「三大怪獣」とは、地球産のゴジラ、モスラ、ラドンの事)。


 第6作(『怪獣大戦争 』)は前作の続きとしての性格が強いので「外部への抑止力」(「怪獣 」と言うよりは兵器 )として扱われています(核兵器か?)。


 第7作(『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘 )…本来、キングコングを主役にしていた為、非常にゴジラらしくない…と言うか、「(南海)冒険物」としての陽性な世界観が(「赤イ竹」と言う軍事組織が、色々と悪事を働いていますが)。以降、「南海路線」が導入されます。


 その後、『怪獣総進撃』、『~対ガイガン』~『メカゴジラの逆襲』は『怪獣代戦争』(と『三大怪獣~』)の焼き直しです。




 『~対ヘドラ』、「南海路線」については、またいずれ(あるのか?)。



最近と言うか、最後に見たのはスパイダーマン(1)。

 映画館、キライなんですよ。と言うか、映画そのものがキライ


 GガンダムのドラマCD00000115445.jpgで東方先生が苦言を呈していますが、映画館って無法地帯ですよね?大声を出したり、音を立てて飲食したり、ネタバレを言ったり。マナー悪いです。とてもサービス業とは思えません。スパイディtsab-32161.jpgの前に見たのはX-MEN(1)00000563600l.jpgです。2はDVDで見ました。映画はもっぱらDVD(デアデビルとか)かCSで見ています。映画館がもっと近くで、便利なところにあれば、また事情は違うかもしれませんが。その前に見たのが逆襲のシャアです。


 機動戦士ガンダム逆襲のシャアはヒドかった…途中で寝てしまうくらい。それ以降、「映画(館で)は見ない!」と誓った(がX-MEN、スパイディは昔からのファンなので観に行った)。


 映画がキライな理由は、ココにある。つまり「損失補填されない」事だ。期待して観に行って、ツマラナイ作品だったりすると非常にガッカリする(しかも有料)。俳優が良くても脚本が悪ければなんにもならないし、原作が良くても監督が悪ければ、やはりダメである。映画と言うのは賭けと同じで、あまりにリスクが高い。僕はギャンブルはしない主義なので、その意味でも映画館へは行かない習慣なのである。


 この点、TVは良い。タダなので、駄作でもアキラメがつく(実際には、受像機の購入費がかかるが、子供には関係ないし、僕が子供の頃は、大家さんの家へ見に行っていたから、やはりタダだったと言える)。TV番組は友達だが、映画は敵である。


 ゴジラ映画は、100万人を割った映画が2作しかないそうだ。実はゴジラのDVD-BOX(除くファイナルウォーズ)2604070103.jpgを持っているのだが、購入時とても悩んだ。「平成イラナイから、半額にしてくれ!」と本気で思った。以前のガメラのDVD-BOXのように昭和と平成に分けて欲しかった(その場合、84ゴジラとビオランテは単品DVDで購入する)。


 ゴジラVSキングギドラって、すごくアタマの悪い映画だし、その後も駄作(と言うか、「もしかして、これ『作品』?」と言いたい)ぞろい。こんな映画を毎年毎年、延べ100万人以上(リピーター含む)も観に行っていると言うのは、日本は平和と言うかバカばっかりと言うか…。まぁ、「」だと思えば批判する事自体、無意味なのだが、それなら昭和の対決シリーズだって同じだよなぁ。「ゴジラ対メガロ」img10272426161.jpgは叩くくせに、平成ゴジラを持ち上げる、と言う感覚が、まったく理解できない。ファミリー向けで採算取ろうとしているんだから、いわゆる「幼児向け」として作れば?「オール怪獣大進撃」tdv-2785d.jpgみたいに。ファイナルウォーズなんかより、よっぽど健全ですよ。ま、東宝に言ってもムダでしょうけど。



毎度の怪獣総進撃

 ゴジラは何回も死んでいるが、本来、「怪獣総進撃」で完結するはずだった(いや、第1作で死んでいるけど)。総進撃は、東宝怪獣映画の総決算である。

 とは言いつつ、バランとバラゴンはほとんど出てこないし、デビュー作(「キングコングの逆襲」)で活躍しないにも関わらずゴロサウルスは大活躍するし、カマキラスとメガヌロンと獣人雪男と大コンドルとエビラは出てこない(マンダとクモンガとキングギドラがいる上、さらにカマキラスまで出るとピアノ線がいくらあっても足りないけど)。キングコングとフランケンシュタインはともかく、サンダ、ガイラも出てこない。メカニコングを出したら盛り上がったのではないだろうか?あと、轟天号も。

 …こういう意見があるから、「総進撃」の焼き直しが作られたんだろうなぁ。もっとも、「総進撃」自体、「怪獣大戦争」の焼き直しなのだが。その前作「三大怪獣 地球最大の決戦」の段階で、「作品(あるいはゴジラ)」としては死んでいたんだろうなぁ。

 そう考えて「空の大怪獣ラドン」とかを見ると、また感慨深いものがある。



 ※これは、LDの時代に買いました。しかも高い時代(1万円)。今はBOXで持っていますが、楽天で買ってないし、完売状態のようです。
プロフィール

ゲッターピジョン

Author:ゲッターピジョン
ネタとネタを混ぜる男です。1967年生まれ。
ゲッター「Bi」ジョン、ではなく「Piジョン」です。ハトです。

好きな言葉は、
「願うものは自由、求めるものは平和」。
これは、アクション物のTVドラマの古典であり傑作である「キイハンター」のオープニング・ナレーションの一節です。
それと、「もう、●●の二の舞はゴメンだ!」、これはOVA「機動戦士ガンダム第08MS小隊」の主人公シロー・アマダのセリフからです。

嫌いなモノはダブスタ(ダブル・スタンダード)です。

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